本日7月7日、私 柳澤史樹の55回目の誕生日です。

「紺屋の白袴」ということばのとおり、ものを書く仕事をしているわりには個人的な発信はもっぱらSNSばかりで、この自社ブログを更新せず長い時間が経ってしまいました。

しかし今日からは私自身の内側に向き合いでてきた言葉を紡ぐ場所として、「外向きの掲示板」であるSNSではなく、このブログを再開します。

さて、55歳になったばかりで思うことは、とにもかくにも「感謝」の一言につきます。

子どものころ「ノストラダムスの大予言」を書いた本の「1999年に悪魔の大魔王が降りてきて世界が滅びる」という予言に、恐怖に震えながら自分の歳を計算しました。
そして出てきた「31」という数字に、あまりに未来のことで、全くイメージが湧かなかったことを思い出します。

その予言は幸いなことに外れましたが、そこからさらに22年もの年月を無事に生きてこれたことは奇跡だと感じています。

ここに至るまで、育ててくれた今は亡き両親と祖母、尊敬する兄や親戚、そして多くの友人のみなさんやお客様。そしてなによりも私を支え、共に歩いてくれている妻と愛猫のきび。すべての私を取り巻く方々に、心からの感謝を感じます。

この歳にまでなると、すでに両親はもとより、同年代の友人にも鬼籍に入った人が複数います。
ここまで生かされている以上、彼らに再会するまでの間は、精一杯その生を全うしていきたいと思っています。

これまでを振り返ると、私の名前の由来であり、私が生まれる半年前に7歳で亡くなった被曝2世 名越史樹ちゃんのお母さんと12歳のときに会ったことが大きな原体験となりました。

そのあまりの不条理さに怒りを覚えつつも、私はそこに向き合わずに逃げ切ろうとしていましたが、なにをしても今ひとつ満足できず、迷走を続けていました。

しかし2011年の東日本大震災、福島原発事故を機に、その事実に向き合うことを決め、これまでの生き方、在り方を変えていまに至ります。

それはこれまでの予定調和的な生き方への訣別を意味し、不安もありました。

しかし12年たった今振り返ると、本当にそれを決意してよかったと心から思います。それは自分の在り方に覚悟を決めて生きることで、こんなにも多くの友人や理解してくれる人たちがいたのだと実感できたからです。

その自らの体験を通じ、私は自らのライフワークである自分史を通じ、一人一人が自分の在り方を見つけるお手伝いをしてきました。

それは企業研修というかたちで実を結び、おかげさまで順調に実績を重ねてくることができました。今年はそれをさらに充実させ、組織のなかにいても主体的に生きる人を増やしていきたいと思います。

また今年から、自分史のエッセンスを盛り込んだ、自社開発のサービスをスタートさせるべく、妻と毎週会議を重ねています。

このサービスは、自分史を通じて自らの在り方を明確にし、個人ひとりひとりが押し寄せる不安を克服し、大事な人たちとともに生を全うすることができるものと確信しています。

その意味において、この1年は、私にとってこれまでのフェーズから大きく動く勝負の年になることは間違いありません。

それは、迷走しまくり、自分の存在意義、いうなれば「why?」が見つけられず彷徨ってきた私だからこそ伝えられるものでもあります。
 
みなさまにもご協力いただき、いろいろなご意見とともに、自分史をシェアしあうことで、信頼のもと助け合える豊かな人生をともに送っていきたいのです。

ついつい長くなってしまいましたが、みなさんと直接お会いできる日を楽しみに、今日は終わりにしたいと思います。
これからも共に生ききるお仲間として、末長くよろしくお願いいたします。

2023年7月7日

柳澤史樹拝


投稿者プロフィール

柳澤史樹
株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。