ひと目見ただけで「この人って絶対に性格いいんだろうな」と思ったり「この人ってたぶん小学校時代から変わってないんだろうな」と思わせるような人っていませんか。
護(まもる)くんは、まさにそんな人。
ロックとプロレスが大好きで、まがったことが大嫌い。
大きな体躯に人懐っこい福々しい笑顔、いつでも明るく元気。
溢れる優しさが全身からにじみ出ていて、会った人誰もが好きになってしまう、そんな魅力をもった人。
2年前、スタジオ帰りの彼にばったり会った時のこの笑顔を見てもらえば分かってもらえるかな。
6月の土曜の朝、そんな彼が6月22日脳溢血で急死し、家族葬で荼毘に付されると聞いた。享年48歳。
いまだ信じたくないんだけど、このブログを書きながら、彼へのいろんな思いがジワジワ湧き出ている。
彼とは5年前、私が企画したあるイベントで知り合った。
私の実家のある金沢文庫で工務店を経営していた彼は、ウソや隠し事ばかりの今の政治について私と同じように怒っていた。
同じく金沢文庫の保育園園長である奥さんの寛子さんとおしどり夫婦。
まちづくりにも積極的に携わり、いろんな知り合いがいた。
今は亡き私の母とも地元つながりで親切にしてもらっていたし、そんでこの性格と笑顔だから、仲良くならない理由がない。
保育園が毎年主催するお祭りは、彼がステージを設営し、園児のお遊戯だけでなく自らのバンドで出演しエレキギターを演奏。
「保育園のお祭りでキヨシロー大音響でやっちゃいますよぉぉぉぉ」とか、いたずらっぽく笑ってた。
お酒が大好きな彼の声がけで、地元の飲食店が多数出店し、保育園のお祭りよりも縁日みたいなすごい賑わい。
保育園だけでなく、地元の人も呼び込んだ楽しい祭りにしようというのは彼が発起人だったからと聞いて納得した。
こんなだから友人も多く、車やエアコンなど困ったときに快く紹介してもらったけど、みんな親切な人ばかり。
家の庭でプランターで無農薬の野菜を作ったり、数え切れないほどの鉢で朝顔を育てたりする写真をアップしてるところとかに、ロックギターを弾く彼とはまた違った優しさが感じられた。
一昨年の忘年会にも夫婦で参加してくれたし、まあとにかく家族ぐるみで本当に本当にお世話になった。私も妻も彼が大好きだった。
先週、寛子さんから「少人数なら大丈夫なのでぜひお線香をあげに来てください。護くんは柳澤さんが大好きだったから、喜ぶと思います」と聞き、彼が細部にこだわりをもって建てた家に行ってきた。
まだ仏壇もないテーブルの上に置かれた、彼の照れくさそうな笑顔の遺影と骨壷の箱を見たとき思わず「護くん、なにやってんだよ、死んでる場合じゃないでしょう」と、思わず一昨年急死した母のときと同じような気持ちになった。
焼香したあと、寛子さんにその時の話を聞いた。
「その日も雨のなかずぶ濡れで帰って来たのを、お風呂を沸かして待っていてくれたんです。二階にいる彼に声をかけてお風呂に入ったあと、部屋に行って床に寝ている彼に声をかけました。
最初は寝ていると思ったんですが、彼の呼吸が停止していることに気づき、まだ温かい身体に必死に心臓マッサージを続けました。
救急車も近所からすぐに来てくれて、隊員の方も必死にマッサージをしてくれたけれども反応はないまま病院へ向かいました。
到着後に先生に『これは夢ですよね?』と聞いたんですけど、先生にとても悲しそうな顔で『いや、これは夢ではないんですよ』と言われて、本当に彼が逝ってしまったことを実感しました」と。
「でも二人でよく死生観については話をしていて『俺は長生きしなくてもいい。だからこそ今を精一杯生きたいんだ』と聞いていました。
彼の部屋の床板は彼がこだわりをもって自分で施工したもので『この板で寝るのが気持ちよくて大好きなんだよ』と語っていました。
そこで眠るように逝った彼を思うと、精一杯カッコよく生きた人だなと、なんだか救われる気がするんです」
寛子さんは涙をちょっとだけ流しながら気丈に、笑顔で語ってくれた。
彼の部屋には、大好きなギターや大好きなアーティストのレコードが飾ってあり、数え切れないほどのロックバンドのギター譜、政治に関する本や、プロレスのTシャツが綺麗に整頓されていた。そして壁紙は猫(笑)。
書斎というより「ロックキッズの部屋」というほうがピッタリ。
予想していた通り、子どもの純粋さを残したまま大人になって、精一杯人生を駆け抜けたんだなと、彼の部屋を見て再認識した。
しかしすごく綺麗に整頓されていたあたりは、彼の細やかな職人気質を感じさせた。
そんな彼がこだわりを持って自ら施工したという床板は、ピカピカで柔らかく、確かに触り心地がよかった。
しかも話はそれだけではない。
護くんが大ファンだったというタケ小山さんのラジオ番組「GREEN JACKET」がお通夜の日にあることを寛子さんが思い出し、当日朝にメールで彼の死を伝えたら、タケ小山さんが放送中に彼のことに触れ、生前好きで何度もリクエストしていたという Whitesnake(ホワイトスネーク)の “Here I Go Again”を急遽かけてくれたそうだ。
「まるで彼が天国に登っていくテーマソングみたいな気がして」と寛子さんは語ってくれた。
さらに、タケ小山さんが事前にその日のエンディングテーマに選んでいた曲は、John Waite “Missing You” だって。
ちょっとカッコよすぎじゃない?護くん。
「人は生きたように死ぬ」
彼の死という事実を前に、別の友人が教えてくれたこの言葉を思い出した。
友人はある人からこの言葉に加え「くだらない生き方をした人は、くだらない生き方しかできない」と聞いたそうだ。
しかし私はこの言葉を2018年、19年の両親と親友、そして今回の護くんとの別れを経て、逆説的に「死に方は実は重要じゃない。残された人はどんなふうに生きたかを思い出す。だから死を恐れるよりも、精一杯いまを生きることこそが大事なんだ」と理解するようになった。
人は誰しも、自ら命を絶たない限り「いつ逝くか」を決められない。
長生きしていても誰にも相手にされず孤独なまま「死にたい」と嘆くお金持ちもいると聞くし、若くして逝っても、たくさんの人の心にたくさんの思い出を残す人もいる。
つまり「どう死ぬか」は重要ではなく、あくまでも「どう生きたか」こそが大事なんだと。
私がいくつで死ぬにしても、私は彼のようにいろんな人のなかに残るように生ききりたい、そう思っている。
それにしてもだ。
護くん、いきなり過ぎて驚かせないでよ。あんまりだよ。
まだまだ飲みながら話したいこと、一緒にやりたいことも山ほどあったし、2016年ゼンダマフェスのとき、たくさんの芸能人に出してくれた、本当に一生懸命書いたことが分かる手紙のお礼もまだできてないし。
それより何より、見たら元気になるその笑顔に会えないなんて、ちょっとはこっちの事情も考えてもらわないと。
でもまあ、自分じゃ選べないのに、潔く、惜しまれながら次の世界へ行くっていうのも、ロッカーらしくカッコよくキメたね。
まあ俺は死んだ好きな人達には、必ずどこかで再会できると心から信じているから、先に行ってる俺の両親や友人らと合流しておいてください。
本当にありがとうね。次に会えるときを楽しみにしています。
投稿者プロフィール
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株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。
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SARA
素晴らしいお友達の素晴らしい人生をお聞かせいただいて、涙溢れました。これは夢ですよね?といった奥様の切ない言葉が胸に刺さります。人生の長さは大抵の場合自分では決められないですから、やっぱり生きている時をちゃんと実感しながら過ごしたいです。ありがとうございました。ご友人のご冥福を心よりお祈りいたします。
柳澤史樹
SARAさん、ありがとうございます。
本当に仲のいいご夫婦で、自分らだけじゃなく、多くの人の幸せを願うような二人でしたので、奥さまの悲しみはいかほどかと思います。
しかし彼が精一杯生きればいい、長生きするつもりはないと話していたことを聴き、なんだか少しホッとしました。
まさに彼らしく自分の人生を終えたんだと。私も彼を見習って生きていきたいと思います!
山岸 香
まどかさんの投稿をめにして
どなたのことなのかな…と思っていました。忘年会ではお話しできませんでしたが、お店をでたところにご夫婦で立っていらした笑顔を覚えています…
その時、は人それぞれですが、
こうして史樹さんの想いをのせた文が私たちにも届けられ、たくさんの影響をくださったことに感謝します。
こころよりご冥福をお祈りします。
柳澤史樹
山岸香さん そうなんです。あの忘年会はじめいろんなところでご縁を感じていましたから、今にしてジワジワ悲しみがこみ上げてきます。
しかし彼がそういうのは好きじゃないでしょうから、みんなで盛大に送り出してあげようと思い、奥さんの許可をいただき書きました。
こういう生き方したいなあ、という見本のような男でした。再会が楽しみです。
ニセモノ職人
ブログ読ませて頂きました。
彼とはタケさんの番組で知り合い 同郷で名字も同じで弟の様に思っていました。
本当に信じられず 何も手につかない日々が続きましたが そんな事を彼が喜ぶはずもなく今日に至ります。彼と行ったLIVEや飲み会など 思い出はつきませんが 彼が照れ臭そうに「俺の好きな曲が入ってます」と手渡されたCDを毎日聴いています。
朝顔は私の趣味に付き合ってくれていて毎年 種を送っていました。今は彼のご冥福をお祈りするばかりです。
柳澤史樹
ニセモノ職人さん コメントありがとうございます。そうそう、あの照れくさそうなかわいい笑顔は人の心をほっこりさせますよね。
朝顔は職人さんなんですね!私実は一鉢奥様から形見分けでいただきました。大事に育てていきますね。
聖華
突然失礼します。
イベント出演などライブ活動をしている聖華と申します。
護さんとはSNSで知り合い『聖華さんを応援します』とメッセージを頂きました。
それから私が出演するイベントにお越し頂きCDも購入してくださいました。
好きなモノの共通点も多くてずっとメッセージのやり取りを続けていていつも私の活動を気にかけてくださいました。
お会いしてお話をしても私の顔を見てくれなくて目も合わせてもらえなくて、、、(笑
彼は(お酒が入らないと)『照れ屋』だと言っていました。
『僕のバンドで歌えば?』とも言ってもらえて本当に嬉しかったです。
護さんのバンドの動画を観せて頂いたりバンドのお話やご自身のお仕事のお話、お気に入りのラジオ番組のお話を聞いて彼の人柄の良さはすぐにわかりました。
笑顔がとても素敵で私は人としてとても好き、この先ずっと仲良くしていただきたい方でした。
頻繁に更新される彼のツイートがずっと止まったままで気になって胸騒ぎがしてメッセージをしようとした矢先に事実を知りました。
残念ながら私と護さんの間に共通する友人、知人はいません。
情報を知る手立てはないかとツイッターを見てこちらにたどり着きました。
護さんに良くして頂いてばかりで私は何もお返しできていないのが悔しい限りですが、短い間でしたが出会えた事に本当に感謝しています。
いつか護さんにご挨拶にお伺いできたらと思っています。
長文になってしまいましたが図々しくもこちらへコメントさせて頂きました。
柳澤史樹
聖華さん
コメントありがとうございます。
そんなエピソードがあったんですね…
そう、彼はとても照れ屋でしたね。
照れ笑いのかわいい男でした。
本当に残念ですが、天国でもあのままの元気と明るさでいてくれると思います。
奥さまにもこのコメントをお伝えさせていただきますね。ありがとうございます。