2011年から自分の思うことを隠さずに生きてきたなかで、いつも思い出す「泣いた赤鬼」という昔話があるんだけど、みなさん知ってますか。
 
人間と仲良くやりたい赤鬼のために、友達の青鬼がわざと暴れて悪役になり、退治され、どこかへ去っていくという話なんだけど、小学校の時に読んで以来、今もこれだけ覚えてるってことは、私はその青鬼の「あり方」に強烈な印象を覚えたのだろう。
今日は、昨年あたりから影を潜めていた青鬼が久しぶりに出てきた。


私は元旦が大好きだ。毎年感じてたんだけど、人の集合意識が祝いの気持ちを持って穏やかに過ごすことが、こんなふうに世の中の空気を作るんだなって肌で感じてこれたから。
 


でも今年の正月は少し違う。これまで50年以上生きてきて、こんなに「明けましておめでとう」って言いたくない元旦ってない。
 


政治家や金持ちどもが罪を犯している自覚も事実もありながら、その汚れた手でシャンパンを開けているまさに今、ガザやウクライナの瓦礫のなかで死の恐怖に怯える子どもがいる。


着々と戦争への道を歩く日本だって実は同じようなもんだ。


自己責任という言葉を得意げに語り、人の尊厳をこき下ろして笑い足蹴にするような政治家や金持ちが開き直ってのさばるなか、食うものもなく大人への絶望のなか彼らに体を売る子どもがいて、未来に絶望してガザと同じくらいの人が毎年自殺してる。

それだけじゃなく、ワクチン、インフル、放射能、添加物で、向精神薬で、心と身体を蝕まれながら病に伏せる人がいて、暖房のない路上で孤独に過ごさねばならない人たちがいて、そしてそんな人間たちにすら捨てられ虐待されている動物たちがいる。


そんな現状を知りながら、心からの「おめでとう」を感じていない自分がいるんだよ。なにがめでたいんだよ?って自問する青鬼が出てくるんだ。
 
でもこれって今年だけのことじゃなくて、これまでもずっとそうだった。私たちはそれを見続けながらも黙っていただけ。


今年はそれがどんどんどんどん侵食してきて、俺みたいになんとか人並みな正月を祝えてきた人間にも、避けられない領域に来てしまってる。
明日は我が身なんだなって心から感じるよ。


今年と来年にかけて、日本は1945年からかつて体験したことのない局面を迎えるだろう。
これを進めてきた連中と、それら全てを何かしらの言い訳で許してきた幾万の奴隷たちへの怒りは到底収まらないし、心から残念だけど、このままなら日本はいくとこまでいくだろうと思ってる。
 
そんなことを1年の始まりにいうもんじゃない、それが潜在意識で、集合意識だろ?というならば、俺のことを無視してくれればいいし、縁を切ってくれればいい。


子どもたちや孫たちにどんな世界を残すのか。そもそもそんな自覚を持ったことがある人間がどれだけいるのか、もはや私には全くわからなくなってしまったからな。

でも世界中が静かに、平和で健康であることを祝う今日だからこそ、0.00001%の希望を信じて、憎まれ口を叩くことにする。
性分だか宿命だかよく分からないけれど、私はこれから死ぬまで青鬼と同居していくんだろう。

投稿者プロフィール

柳澤史樹
株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。