むかしある人に「人を動かす最も大きな動機は『恐怖』だと調査でも明らかになっている。だから恐怖が一番効果的なんだ」と言われて、なんとも釈然としない思いをしたことがある。
それはある意味当たっているけれど、絶対に真理ではない。

私はついぞ15年ほど前までは「太く短く生ききればいい」と刹那的に、しかしそれがカッコいいと思っていた。

しかし今にして思えば、その時の私はなにも理解できていなかった。
すでに40近かった私は、すでに経済的な成功の可能性を諦めていた。
さらに自分の使命、ミッションが見つからないまま、今ひとつ生きている実感や希望を認めたくないという恐怖から、虚勢を張ってそう言い聞かせていただけなのだろう。

そんな自分に気づいたのが東日本大震災だった。
2万人近い人々が生きる時間を止められたあの日から、自分の生きている意味、生かされている意味を考えるようになった。

そして「このまま自分の使命を全うしないまま死にたくない」という気持ちと「このままではカネに殺される。年老いてカネがないまま死んでいくなんて」という恐怖を感じるようになったのだ。

しばらく考えた末に、私は生活を変え始めた。
自分の使命を探そうともがき、それに向き合い、SNSで発信をはじめた。

原発事故の放射能を浴びたものを出されるままに買って食べるより、自分らで作ったものなら病気になってもまだ諦めもつくし、自分で作った野菜があればお金がなくても死なない、そう思って畑に通い始めた。

少しでもお金をかけずに生きるライフスタイルの勉強をはじめ、再生可能エネルギーの防災ツールなどを買い、生活に取り入れだした。

万が一のときのために、友人のプログラムで身体を鍛えだした。

そうしてしばらくすると、少しずつ変化が現れはじめた。

身体が健康になり、自分の意見をハッキリということで同じ思いの友人が増え、心のストレスも減った。

畑で必死に育った末に命を捧げてくれる野菜たちを食べることで、心からの感謝と喜びを感じるようになってきたのだ。

最初は恐怖が動機だったはずなのに、そのチャレンジを続けていたら「これならカネに殺されることはないし、心も安定している。なんだ、こっちの方が全然幸せじゃないか!」という、私の自分史のなかでとても大きな変容が起きたのだ。
そしてそれはジワジワと広がり、さらにしっかりとした形になってきた。
今はとても幸せだし、豊かだし、さらにイケると思っている。
相変わらずお金はそんなにないけれど(笑)。

しかし私がやったことは「恐怖を乗り越えよう」と決め、そのためにできることを妻と考えて一つずつトライしていっただけだ。

だから同じような決意をした人達を、本当に微力ではあるけれど、これからはできるだけサポートをしたいと思っているし、それは私のミッションの一つだと思っている。


いま、新型コロナウィルスや多くの社会不安のために、あの時の私と同じような恐怖を覚えている人がたくさんいると思う。
そんな人達に、すでに何度も人に話している自分史のターニングポイントを、これからも伝えていくつもりだ。
 
最後にもう一度繰り返していう。
あなたがやることは「恐怖を乗り越えよう」と決め、それを宣言すること。
そうすれば、あなたの周りにたくさんの仲間がいることが、すぐに見えてくるはずだから。

photo by unsplash-logoMarkos Mant

投稿者プロフィール

柳澤史樹
株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。