私の自分史講座では参加者の方に「一瞬一瞬、1日1日が自分史の1ページなんだという視点をもってみてください」とお伝えしている。
その視点をもって日々を過ごすことに慣れると、目の前に起きているできごと、普段何気なくやっていることの見え方や関わり方を考え、日々を送るようになる。
そんなの面倒だ、という人もいるだろうが、少なくとも私は自分の目の前に起きているできごとに対して、能動的にアクションし、充実した日々を送れるようになった。

さておき、コロナ狂騒曲が今日も吹き荒れた1日の終わりに、ぼんやりと風呂に入りながら、2016年に行ったデンマークのことを考えていた。

ご存知の方もいるかと思うが、デンマークは「幸福度No.1」の常連国。
原発を1974年に国民の反対で廃止して以来、2050年に国内全てのエネルギーを再生可能エネルギーにするために国民一丸で進んでいたり、「北欧モデル」といわれる手厚い老後社会保障システムがあったり、教育のレベルも諸国と比べて高かったりといいことばかり。

実際にその社会をこの目でみて、派手ではないけれどなんとも落ち着いた社会の空気に触れ「これが幸福ということなのだな」とカラダで感じてきた。
そして風呂を出るころ「やはり国民が個人として成熟しているからなんだろうな」という答えに改めて行きついた。

コロナ騒ぎに対する日本政府の対応、たくさんの不祥事、首相の誠意ない会見への社会の反応、デマに焦りトイレットペーパーの買い占めをするような人々の姿を見る限り、本当にみんな大丈夫かな?という感覚を覚えている。

それは多くの日本人が、個としての自分の考えよりも、政府のような大きな「組織」の決定や、周りの空気に従わないとヤバいという「同調圧力」に従っているからなのだろう。

かたやデンマークは、組織より個としての存在を尊重し、その集合体として社会が形成されてきた結果、いまのような成功した国家の姿があるのだと、現地在住の日本人ジャーナリスト、ニールセン北村朋子さんに教わった。

もちろん「みんな一緒」は日本の歴史や慣習にもよるもので、必ずしも悪いことばかりではない。居心地のいいところもたくさんある。

しかし今の日本とデンマークを比べると、どうみても私にとってはデンマークのほうが勝っているとしか思えない。

というかそれは現時点で厳然たる事実である。

とはいえ私は日本が大好きだ。
こんなに素晴らしい私の祖国が、デマに乗せられトイレットペーパーの買い占め狂騒曲に走るような国であってほしくない。
しかし、たった数十年前、オイルショックで同じ過ちを犯したところから、私たちはなにも学んでないじゃないか。
それは、この国の民があれから何十年も、個としての成熟への努力を怠ってきたからということに尽きる。それが今回露呈してしまっただけなのだ。
残念ながらそれを認めざるを得ない。

「個としての成熟」。
それが今、さらにこれから私が幸せに自分の一生を生ききるためのキーワードなのだと、風呂に入っている間にポンヤリ浮かんだことからはじまり、こんな長い文章になってしまった。
 
ということで、こんなところで今日の自分史を閉じたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございます。
明日はどんな自分史が刻まれるのだろうか、楽しみだ。

※トップ画像はコペンハーゲン市内の「屋内市場」。色とりどりの野菜が美しい。どの国、どの街でも市場に行くのが大好き。

投稿者プロフィール

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柳澤史樹
株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。