ぼちぼちと始めたこのブログ。まだ4回目だが、少しずつ少しずつ日常生活のなかにペースとして取り組めるようになってきた。
まあ、このブログでは自分史のことだけを書くつもりはないのだが、考えてみるとこの一瞬一瞬がすべて「自分史」の1ページなのだと思うと、その瞬間がとてもドラマチックに感じる。
その「視点」を持ってもらうことで、日々何気なく過ぎ去っていく出来事が少しでもみなさんの生活を彩るものになれたらいいなと思っている。


前回「自分史のとの出会い②」に書いたとおり、自分史活用推進協議会の理事で出版社河出書房の河出社長にばったり会ったことをきっかけに、私は同協議会の認定講座を受講することにした。

第1章から8章にわたる、自分史を書きたい、自分史を仕事にしたい人のために、協議会のメンバーが企画・執筆・編纂した立派なテキストを使って、座学とワークを使って9:30〜19:00までみっちり学ぶものだ。

自分史を広めるための自分史活用アドバイザー資格を得るためのこの講座、各支部で半年に一度ほど開催されているが、私が受講したのは渋谷支部の40期で、当日の参加者は20名以上いたと思う。

その講義のなかで一番最初の「自分の人生を年表に書き起こす」というワークに、私は衝撃を受けた。

「書くことがない、いや、思い出せない…」

48年といえば17520日、時間にすれば半日12時間と計算しても210,240時間。
幼児の頃は記憶がないとして、その半分、24年分にしても約10万時間。ものすごい長さである。

それなのに、私が渡されたシートに書かれた内容といえば、事実情報としての学校の入学・卒業の年や仕事の経歴くらい。
それもよくよく見ないと年数や内容を間違えてしまうほどうろ覚えで、エクセルで作られたシートはスッカスカであった。

ただその中で、保育園、おそらく5歳くらいの遠足で、そのとき大好きだった先生によく意味も分からず「ボクは先生とケッコンするんだ」とか言い放ち、その「告白」を受けて笑う先生の笑顔だけはありありと思い浮かべられる、そんなシーンがいくつか思い出された。

また、中には思い出したくない、数々の恥ずかしい話し、自己嫌悪の日々、迷惑をかけた人の顔も思い出された。
そんなことのほうが多かったような気もするし、それすら今はよく思い出せないんだけど。
 
ただその時私は「これはもったいない。こんなに長い時間生きてきて、それをすべて『過去という頭のなかの倉庫』にドカッとまとめて放り込むだけじゃもったいない。その感覚がなければ、今起きていることもすぐ過去として忘れてしまう。」という思いを強く感じたのだ。
 
これがこの講座のなかで一番のトピックスだったと思う。

その講座で私は他にもたくさんの自分史に関する知識を学び、晴れて自分史活用アドバイザーの資格を取得することができた。

大変だったが、とても充実した時間だったし、私と同じように衝撃を受け、人生をもっと充実させて生きたい!と思う人がいるはずで、そんな人にこそ自分史の価値を伝えたいと強く思うようになった。
 
またそのターゲットは、巷で言われている自分史という言葉のイメージにある、人生の終末期に、自分の軌跡を記した書物を残したいシニアだけではないのだということも新しい発見だった。

「自分史はシニアだけのものじゃない。私はこの価値をもっといろんな年代の人に、書物というスタイルだけに囚われず、いろんなアプローチで広めたい」と思ったのだ。


かくして、私は自分史を生業にしたいと思いつつ、しかしなんのあてもないまま自分史活用アドバイザーとしての活動をスタートすることになったのだった。

(不定期につづく)




投稿者プロフィール

柳澤史樹
株式会社 Two Doors 代表社員。
一般社団法人 自分史活用推進協議会認定 自分史活用アドバイザー。
企業研修プログラム「マインドフルカフェ」メンバー。
ライター・編集・プランナーとしても活動中。